昭和51年06月26日 高松陽子25年祭



 今朝から今日の御霊様の式年の奉仕させて頂くということの、神様の喜びというか御霊様の喜びというか、そういう何か催されておるものが、催しに催されておるという今日朝からです、今日もう感激思うと感激するんです、それがどういうことだろうかと思うんですけれども、と思とったんですけれども、今朝からねあのうもうあのうちょっと心静かにすると「キュウピーマヨネーズときゅうきゅう80」ということを頂くんです、キュウピーマヨネーズというのは、いつか御理解に頂いた事がある。
 言うならあれは卵の黄な身と、それからようずとサラダ油ですか、オイルなんかオイルをあのう使って、それをもうそれこそあのう練り方一つで、よい悪いが決まるというくらいに、練り方に大事なでないと、美味しいマヨネーズは出来ないと言われておりますが、これはまぁそのまま和子さんの信心だと思ったんですがね。そのう「きゅうぴい80」というのが分からなかったんでう、それでここへあのう装束着けた先生方が、皆んな集まりましたから。
 今朝からこんな風で私はそのうキュウピーマヨネーズと、きゅうぴい80というのを頂くが、だいたいあのうテレビのコマーシャルかなんかで、何時も聞いてるような感じだけど、どう言う事か分からなかったがというたら、光昭がそりゃあなたあのうきゅうぴい80というのは薬の宣伝のコマーシャルのあれ宣伝文句だという訳ですよ。あのう「お父さん元気にしとりますか、この薬飲んでいますか。」と言う様な事を娘がいうところの場面があるでしょうが。
 私はねそれを頂いたから、もう今日はもうほんなこて御霊様のお祭りを仕えて、もう感激して、御霊様のお祭りちゃこげん有り難い事だから、御霊様のお祭りはせにゃいけんね、目に見えない心を大事にすると同時に、目に見えない御霊や先祖を大事にしなければいけないね、というんですけれども、今日はそのうお祭をあのう仕える前から感動しとるんです。ですから今日神様に出てから本当に、あのう神様今日の御霊は親に励ましを送れる程しのお育てを頂いて、有り難うございますとお礼申し上げたらくさい。
 あのうお花にあのうホウズキがあるでしょうが、そのホウズキが一杯提灯になっとるところを頂いたよ。もう本当にあのう最近こりゃもう、一番間違いがない御霊の世界を表現する事は、御霊の世界ということはもう暗黒の世界だということですね。だからその暗黒の世界にもう光を持って行かなければいけないところ、だから光を持って行った者世界だけが光明世界というのです。
 だから多くの宗教人がいろいろ説いて来た事が、全部あんまり本当の事じゃない、現在私が言っている事が一番本当の事だと言う風な事を。これはある宗教を大変勉強した人が私の話を聞いてから、この事に大変素晴らしいということを、裏づけておる人があるんですけど。とにかく魂の世界は暗黒の世界。ですからもう暗黒世界に入ったが最後、育ちもしなければそのう楽もないと言う世界ではあってね。
 だからもう確かに人間は、この世に生まれて来るということは、いうなら魂を清めにくるところであり、光を頂きに来るところであって。光を持たずしてあちらに行けないというところなんです。だからなら光を持った者の世界だけが、光明世界ということになる訳です。真っ暗いところに提灯に明かりを灯火をつけるようなもんだ。そういう意味で今日の御霊のお父さんが、例え暫くであっても、当時の神愛会の総代としての御用を頂く、こりゃもう大変な事なんだ。ここで役を頂くということは。
 これはもうあの世この世につながっておる事なんだ、これは先生の自由意志じゃないというので、一つの格を頂くんだから、これはささやかながら光にならないはずがない。お父さんが光を持っていってる、お爺ちゃまがもちろん当時の神愛会の、神様から許されて先生と言われ、亡くなられてから先生を評して、「神愛会初代教官」と言う様なあのう言うならば、お名前を送られた程しの、いうならば程しの人ですから、光を持っていって無いはずがない。
 ましてならあのうお母さんの信心、家族中の信心に成程あのう提灯のあのうホウズキのあれが提灯の光、こういう光の中にあってお育てを頂いておるおかげで、例えばんなら生まれてすぐ死んでも、もう25に成長しておるということなんです。ですからそのうそれがならどう言う事かというと、親に「お母さん大丈夫、しっかり信心出来よる」というてこう励ましを送ってくれる程しの、あのう御霊のお育てを頂いておると言う事を、私感じて。その事を神様にお礼を申させて頂いたら。
 あのう「ひかり」結局周囲の者、なら生まれてすぐこれを仏教では、あのうお地蔵様がそのう座りなさるということを聞いとりますが、そのういうならばお地蔵様の手元で、そのうまぁ育てられているうちに、こちらから光を持って行った者に一緒にまぁ光明世界におかげ頂いておるだろう、そして段々お育てを頂いておる。まぁ親に励ましの一つも送れれるような、御霊の成長のおかげを頂いておるだろうと言う事です、これはもう先ず間違いのなかるようにあります。私が御霊の世界を感じるという事と。
 これはなぜ御霊の世界、御霊の事を目に見えない処を大事にする事を、神様が喜びなさるかというと、それを私共が心を大事にする事を、神様が喜びなさるのと同じなんです、だからこの目に見えない根を大事にする、目に見えない心を大事にするということが、そのまま信心だということになる。今日そういう大変な意義を持った、お祭りであったと同時に、そういうことを御霊も確認、自分がおかげを頂いている事を確認し、遺族の者親類の者にもそれを知らしめるお祭りであったという風に思うですね。
   おかげ頂きました。